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講義3.6 AI時代のコンセプチュアル思考 ~人間に残される思考は「概念的思考」になる

  • 1 日前
  • 読了時間: 8分

更新日:15 時間前

具体的対応策を練ることに偏重する現場

今日のビジネス現場では、生産性や効果・効率性の向上が声高に叫ばれています。それに伴い、デジタル技術を用いたツール類も日々めざましい進化を遂げています。その結果、たしかに業務処理の量やスピードは格段に増しつつあります。しかしその間、人間の考える力はどうなっているでしょう……。


企業の研修現場で20年以上キャリアのマインドセット研修や思考スキル研修をやってきた私の感じるところでは、ある面でビジネスパーソンたちの考える力は「鋭く」なっているところがあります。しかし全体からすれば、考える力が「細く、薄く」なっているのではないかというのが実感です。


思考が「太い/細い」、「厚い/薄い」ということの説明用に描いたのが下図です。思考Aと思考Bは両極の形を示しています。だれしも自分の思考状態はこの間のどこかになります。



理想形は思考Bです。跳ぶためにはいったん身をかがめなくてはならないのと同じく、直面する課題やミッションに対し、すぐに処し方に走らず、まずは抽象次元に思考をかがめ、在り方に考えを巡らせる。そしてそこから具体策を練る。これが思考の幹を太くし、運動幅を厚くするプロセスです。


しかし日々のビジネス現場は、思考Aのように一足飛びに効果、効率、功利を狙いにいきます。その結果、コストダウンをどうするか、競合品の分析をどうするか、広告の効果をどう上げるか、などの具体次元での対応策についての考える力はどんどん鋭くなっていきます。しかしその一方、直接的に課題処理に結びつかない抽象次元での意味や価値を扱う思考力は敬遠、放置されたままになっているのが現状です。


「考える主体者」にとってAIは道具

目の前の課題や処理作業に対し、手っ取り早く具体策を出して成果をあげたいという欲求は当然起こります。ましてや生産性を上げよという組織からの圧力は高まる一方です。そんなときに、生成AIツールは救世主のごとく現れました。この諸刃の剣ともいえるツールをどう使いこなすかは、個々の人間にとっても、人類全体にとっても大きな問題です。


私たち1人1人は「考える主体者」でなくてはなりません。考える主体者であるとは、考えるベクトル、すなわち考える熱量と方向性を持ち、その思考によって得た答えで状況を切り開き、何かを実現するという状態です。このとき、生成AIは考えることの補助・補強を行う手段となります(下図の左側)。



ところがAIの恐ろしいところは人間を従者にしてしまう可能性があることです。

 

上図の右側に描いたように、人間はみずから考えることをやめ、単なるAIの操作者となり、ほしい答えを簡便に得、その答えを無批判的に信じ、頼る。これが常態化すると、もはや人間は考えるプロセス──問いを立て、仮説を持ち、材料を吟味し、検証し、評価し、選択する──によって養われる思考力が脆弱となり、ただ感覚的・反応的に生きるだけになってしまいます。AIが(そのブラックボックスの情報処理システムを通して)出す答えの従者になる人間がそこにいます。生成AIが真に有益であるのは、人間がそれを道具として用いる場合です。


人間に残される思考は何か───

AIが発揮する能力──膨大な量のデータ・情報を扱い、指示した文脈にそってそれらを再構成し、新たに文章やパターン、イメージをつくり出す能力──の利点はもはや否定しようのないものです。そのため人類はその進化を止めるわけにはいかないでしょう。だからこそいま向き合わねばならないのは「どういった思考が人間に残されるのか」です。そしてその1つが概念的に考える力ではないか、それが本稿の訴えるところでもあります。


生成AIは、インプットされたデータ・情報を組まれたアルゴリズムに従って処理し、アウトプットとして答えを出しますが、やはりその答えはデータ・情報という形式のままです。しかし人間の場合、考えることによってデータや情報を知識に変えます。さらにはそれを概念に変え、最後には理念・信念へと昇華させていくことができます。理念・信念は、その人が独自に抱く精神的価値に基づいています。ここがコンピュータの思考と決定的に異なる点です。


例えば、私たちは「春(はる)」という言葉を幼少期に覚えます。最初は「さむい冬のあとにやってくるあたたかなとき」のようにざくっとした認識ですが、辞書や事典を引くことを習ってからは「四季の最初の季節。気象学的には太陽暦3月・4月・5月、天文学的には春分から夏至の前日までに当たる。──広辞苑〈第七版〉」のように客観的な定義をもとにしながら知識を持つようになります。


そして人間はそうした単語知識を断片のまま保持するだけに留まらず、断片を結びつけながら概念形成をはじめます。


つまり、寒くどんよりした冬が終わり、天空がきらきらと明るく「晴(は)れて」くる。そして田畑を耕し開いて「墾(は)る」。木々の芽たちが生命力をふくらませて形を「張(は)る」。それに伴って、人間の心身もぴんと「張る」。そうした明るくなってくる、見通しが開けてくる、躍動してくるという状態が「はる」の語源であり、おおもとの概念であることに気づくわけです。そうした思考プロセスを経て「はる」の概念を形成した人は、「春」というものを以前よりゆたかに理解し、感じ取ることができるわけです。




断片の知識から概念へ、そして理念・信念へ

私たちはさらに春を感覚的、心象的にもとらえています。春は「萌え出ずる」「待ちわびる」季節であり、「輝く・きらきらした」感じがある。「はなやか」であると同時に「はかない」イメージもある。そのようにゆたかに観念を広げて春をとらえているからこそ、


「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ──紀友則」


といった歌が時代を超えて味わえるのでしょう。


そしてさらに、私たちの春についてのとらえ方はここまでにとどまりません。春という季節のありようを理想として、自分の生き方に取り込みたいという意志が生まれてくるのです。


すなわち、「春のごとく清らかでありたい」「春のごとく若々しく生きたい」のように。春を理念に昇華することで「春のごとく」という方向性・軸が生まれ、「~したい」という熱が生まれるわけです。


さらには、理念を煎じ詰めると信念に行き着きます。宮沢賢治が残した詩集『春と修羅』のなかに「春」という短い詩があります───


  陽が照って鳥が啼(な)き

  あちこちの楢(なら)の林も

  けむるとき

  ぎちぎちと鳴る汚い掌(て)を

  おれはこれからもつことになる


長く凍える北国の冬。その冬を生命の息吹あふれる季節に転じる莫大な春のエネルギー。大自然が宿すその計り知れない作用を賢治は畏れ、敬い、信じます。そして「ぎちぎちと鳴る汚い掌」を持つことを覚悟し、土とともに生きていく決意をします。賢治にとってもはや春がもつ再生の力というのは、魂の底に据える信念であり、己(おのれ)の生きざまの象徴であったといえるでしょう。


このように、人間が物事をとらえるありようは、断片の知識から概念や観念、さらには理念・信念といったものまであり、質の異なる認識が複雑に連続化しています。これらを一貫してつなげ、その考える過程で方向性(軸や観)と熱量を生じさせる作用をもつのが、まさに概念的に考える力なのです。


この概念的に考える力こそ、人間に残された思考の1つであり、この思考のもとに生成AIなどのツールを手段として用いることが、これからの時代の思考の本筋といえるのではないでしょうか。



「プロフェッショナル」の原義が問うこと

さて最後に、「知・情・意」のフレームで考える力を深く見つめてみたいと思います。


私たちの思考は知・情・意という精神のはたらきの影響を受けています。夏目漱石は『草枕』の冒頭で次のように書きました。


「智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。」


漱石がいみじくも指摘したとおり、知・情・意の3つがバランスを欠き、何かが突出するだけになるとよからぬ問題が起こってきます。


例えば、地球の環境問題。知は科学技術を先鋭化させ、その技術によって経済的合理性を際限なく追求することを目指します。情や意の抑制がなく、知に偏ったまま突っ走ると、地球の汚染や破壊がどんどん進みます。


情だけで生きることは、ただ感覚的な反応だけで生きることを意味します。好きか嫌いか、面白いかつまらないかというその場の気分によって、人生や社会が流れていきます。知や意を欠くことによって誤情報・偽情報に扇動されやすくなり、個人と社会は安定性をなくし、脆弱になります。


また、意だけが突出するのも問題ありです。国家のリーダーや組織のリーダーが独善的に自分の思想・信条を押しつけ、強引に施策を押し進めていく。そして多様な意見を抑圧する状態。これは早晩破綻をきたします。どんな思想・信条も知や情の下支えがなければ、広く長く受け入れられることはありません。



知・情・意のそれぞれに偏り歪むことなしに3つを融合させながら、思考を大きく、深くしていくことはとてもむずかしい。しかしそれは、個々人が、社会全体が、真剣に取り組むに値する挑戦です。


そこで私たちがいま立ち返りたいのは「プロフェッショナル」の原義です。


professとは、「神に誓いを立てる」こと。中世に現れた最初のプロフェッショナルは、医者や法律家、学者などでした。彼らは独自に協会をつくり、互いに高い規律意識を持ちながら仕事にあたります。彼らの職業精神のベースにあったのは私欲のない社会奉仕だったといいます。つまり、世の中の共通善を志向し、そこにみずからの能力を使うことを誓った職業人が、もともとの意味でのプロフェッショナルだったのです。


知・情・意の3つの間を大きく動き、深いところへ下りていくための鍵は、「共通善」のような大きな動機に自分の思考を導かせていくことです。それは必然的に、誓いや祈りの要素をはらんでくるでしょう。少し教条的に聞こえるかもしれませんが、それこそが人間に残された、そして人間のみが行える思考です。



*本記事のくわしい解説・議論は、拙著『入門コンセプチュアル思考──概念的に考える基本型と本質を観る態度を身につける』(源流の森ブックス)をご覧下さい。



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