深く考える 豊かにひらく「強い個」の働く意識をつくる人財教育
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ほんとうに豊かな発想は、
豊かにものごとをつかむところで起こる。

ほんとうに深いモチベーションは、
深い思索から湧く。

ほんとうに強い仕事・キャリアは、
強い内省が支える。


『コンセプチュアル思考の教室』
みなさんがほんとうは大事だと感じながら、でも、
日ごろの多忙な仕事生活で置き去りにしている
「じっくりと本質を考える力」を養うサイトです。

 

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講義2.4.1 コンセプトの精錬法[5]~研ぎ澄まし

March 16, 2017

コンセプトを精錬する方法を6つに分けて紹介しています。きょうはその5番目―――「研ぎ澄まし」です。
 

 

 

◆5-a)エッジを立てる
広告やメーカーの世界では、コンセプトという語を「一連の広告キャンペーンのコンセプトは」とか「ある自動車メーカーがコンセプトカーを出展し」などというように、「先鋭化させた意図・着想」の意味で限定的に使っています。


世の中に次々と起こる流行やトレンドは、だれかが物事の先端をとらえ、そのとらえた内容を鋭く表現し、差し出すことで生まれてきます。広告の世界には、そうした「エッジ:edge=端、刃」の立った表現の見本をたくさん見つけることができます。


例えば、「モーレツからビューティフルへ」(1970年、富士ゼロックスの広告)のような時代を画するメッセージ。さらには、大衆から「少衆」「分衆」(1985年)へというような新しい概念の提起です。
 

また、「なにも足さない。なにも引かない。」(サントリー『山崎』、西村佳也)、「一瞬も 一生も 美しく」(資生堂、国井美果)、「ほしいものが、ほしいわ」(西武百貨店、糸井重里)、「おしりだって、洗ってほしい。」(TOTO『ウォシュレット』、仲畑貴志)「亭主元気で留守がいい。」(大日本除虫菊、石井達矢)などのように先鋭的に登場しながら、時を経てもそのエッジが摩耗していないコピー表現があります。
 

モヤモヤした事象をモヤモヤのまま放置するのではなく、そこから本質的なことを感じ取り、何か突起物のようなものをこしらえて、人びとがつかまえやすくする表現作業―――それが「エッジを立てる」ことと言っていいかもしれません。
 

広告の世界以外で言えば、例えば『ハーバード・ビジネス・レビュー』。あの雑誌には、先端的・予見的な記事が多く掲載され、学術的にエッジの立った寄稿が多く見受けられます。いかにエッジを立てる感覚で特集記事の切り口をつけているか、記事タイトルに落としているか、といった目線でながめると、コンセプチュアル思考を学び取る教材としても有用です。


◆5-b)造語する
物事のありようを研ぎ澄ませて見つめていき、それを言葉に結晶化させようとするとき、既存の言葉では間に合わない場合があります。そんなとき、私たちは造語します。


メディアに流れてくる新語や流行語、バズワードなどの多くは、新しい空気のもと、新しい感性によって造語されたものです。その造語がどれだけ長く生き延びるかという耐久性は、ひとえにその言葉のコンセプチュアルなくみ取りの深さによっています。現象を表層的にとらえたものは短命になるでしょうし、深層にある本質的なところをとらえたものであれば長命になるでしょう。


一例をあげると、「ガラパゴス現象」「ワーキングプア」「婚活」「終活」「ニート(Not in Education, Employment or Training, NEET):若年無業者」などは、すでに一般用語として定着した感があります。


また、「メカトロニクス」や「魔法瓶(まほうびん)」「ホームシアター」「宅急便」「バンドエイド」など、一企業の担当者がコンセプトを煮詰めてつくった商標が、一般名詞になる例もあります。


コンセプトを研ぎ澄ませていった結果、必ずしも造語ではなく、既存語に新たな息吹を吹き込む場合もときにあります。例えば、「パラダイム:paradigm」という語。これはそもそも実例とか模範という意味で使われていたものでしたが、科学史家のトーマス・クーンが著書『科学革命の構造』(1962年)のなかで、「概念的枠組み」のような意味で用い、以降、「パラダイム」は科学の重要語になりました。また、先に紹介した「イノベーション」という語も、シュンペーターによって力強いコンセプトを注入されたものの一つです。

 


◆5-c)メッシュを密にする
松居直氏は、児童文学者、絵本編集者、元福音館書店社長として知られる人です。著書『絵本のよろこび』(NHK出版)に次のような素敵なくだりがあります。


「まったくの個人的な体験ですが、十歳のころ、ちょうど梅雨のさなかで、学校から帰宅しても外へ出られず、縁側に座ってただぼんやりとガラス戸越しに庭を見るともなしに眺めていました。放心状態でした。外には見えるか見えないかほどの霧雨、小糠雨が降っていました。そのとき背後から不意に母のひとり言が聞こえました。
 

『絹漉しの雨やネ』
 

母の声にびっくりすると同時に、我にかえった私は「キヌゴシノアメか?」と思いました。私は“絹漉し”という言葉は意識して聴いた覚えがありません。わが家では父親の好みで、豆腐は木綿漉ししか食べません。しかし私には眼の前の雨の降る様と“絹漉し”という言葉がぴたっと結びついて、その言葉が感じとれたのです」。


……「絹漉しの雨」。この表現は一般的ではなく、辞書にも載っていません。おそらくお母様の独自の言い回しだったのでしょう。けれど、多感な少年は何ともすばらしい言葉を授かったものですし、こうした「絹漉しの雨」が降るたびに、それを言葉で噛みしめられる感性も得ることができました。

私たちは一人一人同じ景色を見ても、感じ方はそれぞれに異なります。その差は、持っている言葉の差によっても生じてきます。雨を見るとき、「大雨」「小雨」「通り雨」「夕立」「冷たい雨」「どしゃ降り」───くらいの言葉しか持ち合わせていない人は、景色を受け取る感性のメッシュ(網の目)もその程度に粗くなりがちです。他方、自分のなかに、


「霧雨(きりさめ)」
「小糠雨(こぬかあめ)」
「時雨(しぐれ)」
「涙雨(なみだあめ)」
「五月雨(さみだれ)」
「狐の嫁入り(きつねのよめいり)」
「氷雨(ひさめ)」
「翠雨(すいう)」
「卯の花腐し(うのはなくたし)」
「地雨(じあめ)」
「外待雨(ほまちあめ)」
「篠突く雨(しのつくあめ)」


などの言葉を心で持っている人は、感性のメッシュが細かで、その分、豊かに景色を受け取ることができます。ただ、これらの言葉を受験勉強のように覚えれば感性が鋭敏になるということでもありません。結局のところ、見えているものを、もっと感じ入りたい、もっとシャープに像を結んで外に押し出したい、そういった詩心が溢れてくると、人はいやがうえにも言葉という道具を探したくなるのです。

 


また、職人の世界では、物を加工する場合、実に多くの技を状況に応じて使い分けします。たとえば、腕の立つ金属加工の職人たちの間では、鉄を「けずる」場合、「削(けず)る」「挽(ひ)く」「切(き)る」「剥(へず)る」「刳(く)る」「刮(きさ)ぐ」「揉(も)む」「抉(えぐ)る」「浚(さら)う」「舐(な)める」「毟(むし)る」「盗(ぬす)む」などといったふうに、さまざまあるそうです。


機械職人は、「あと1ミリ削ってくれ」とはいいますが、「あと100分の3ミリ削ってくれ」とはあまりいいません。……「あとイッパツ舐(な)めて、しっくり入るようにしてくれ」とか、「表面が毟(むし)れていて、みっともないから、イッパツ浚(さら)って、見てくれをよくしといてくれ」と言います。 ───小関智弘著『職人ことばの「技と粋」』より


一般の素人であれば、「けずる」ことをみな一緒くたで考えますが、職人は100分の何ミリの世界をはっきりと感じ取り、それに合わせて意識や能力を使い分けるのです。


微妙な差異へのこだわり、気配り、集中力。これらは必ずしも目に見えるものではありませんが、仕事のアウトプットには必ず現れるものです。「神は細部に宿る」「大胆に、かつ繊細に」とはよく言いますが、メッシュの細かな人がときに大胆にいくことはできます。しかし、メッシュの粗い人が、いざ繊細にいくことはできません。細かな感覚を養ってこそ、コンセプトの研ぎ澄ましは可能になります。



【補講】
◆〈5-a:エッジを立てる〉ときの「πの字思考プロセス」

「コンセプチュアル思考」の基本の思考フローは、「抽象化(引き抜く)→概念化(とらえる)→具体化(ひらく)」でした。エッジを立ててコンセプトを研ぎ澄ませる作業もやはりこのプロセスです。


例えば、時代のトレンドの先をいく広告や製品をつくる場合などを創造してみてください。


〈1〉まず、つくり手は、モヤモヤとした事象の中から何か本質を感じ取ろうとします。抽象化がここから始まります。


〈2〉そして、つくり手は、そのモヤモヤとした中からついに本質的なことをつかみます。そしてその本質をもとに事象に輪郭を与えて(定義をして)、全体をつかみます。


〈3〉さらにつくり手は、その事象を目に見える形(文章や意匠)に表現しますが、ある部分にエッジを立て、人びとの目や心に引っかかりやすくします。このエッジの立て方がいかに洗練され、独創的であっても、その事象の本質を含んでいなければ、単なる表層の加工というだけに終わり、すぐに人びとから忘れ去られてしまうでしょう。

 


◆思考は3つの領域を激しく往来する
思考は人間の複雑きわまりない運動です。本講義では、基盤的な思考能力として「知・情・意」の思考の3つをあげました。すなわち―――


 知の思考=クリティカル/ロジカル思考
 情の思考=デザイン/クリエイティブ思考
 意の思考=コンセプチュアル思考


これら3つの思考は明確に分けられるものではありませんし、単独で機能するものでもありません。私たちは何か物事を考えるとき、この3つの思考の間をめまぐるしく行き来しながら、一つの考えとしてまとめていきます(ときに、まとまらないときもあります)。エッジを立てた表現を生み出すときもやはりこの3つの思考を複雑に往復します。


〈1〉事象を感じ取るときの思考というのは、知覚(perception)が主導になります。ですから、「情の思考」寄りになります。


〈2〉事象の本質をつかみ輪郭を与えるプロセスに入ってくると、ここは概念(conception)の領域ですから「意の思考」が主導役を果たします。


〈3〉エッジを立てて表現するプロセスでは、表現(expression)を本領とするデザイン思考、つまり「情の思考」が再び主導権を握ります。


〈1〉~〈3〉のうちトータルで見れば、「コンセプチュアル思考」が最も中軸の思考になりますが、その随所で、分析的・批判的に見つめる「知の思考」もからみ合ってきます(下図参照)。
 

 




 

 

 

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